【緊張について私が思うこと】〜人前が好きな人と嫌いな人〜

私はあがり症です。

ちょっと私についてお話しますと…(興味ない方は読み飛ばしてください!)

今までもあがり症についての記事を書いてきたのですが、少し事情があり今は記事を載せていません…

あがり症の自助会に参加したり、自分で開いてみたり。

今は会の方向性を模索中のところがあり、そしてコロナ感染の心配もあり、次の開催予定は未定です。

私自身は限られた場面のみ極度の緊張に襲われるという感じです。人前のスピーチです。

普段は至って普通ですし、どちらかといえば社交的であると思ってます。

初対面の人との会話も割と得意です。

話を聞くことが好きなので、人と接することも好きです。

でも意図的に1人の時間もたくさん作ります。

色んな面を持ち合わていて、自分で自分の事を知るのに時間がかかったかもしれません。

ところで。

最近、思うことがあります。

緊張する人としない人、比べてみて思うこと。

日本人は9割の方が自分は緊張するタイプだと思っていると聞いたことがあります。

きっと、緊張する人って、あえて人前を避けたり、なるべく目立つ事はしたくないと思う方が多いのではないでしょうか。

私はこんな風に思ってました。

あがる人は能力的に低い

堂々と人前でパフォーマンスできる人は能力が高い

そんな風に決めつけてしまっているところがありました。

だって、自分の苦手としているところを難なくやってのけてしまうのですから、そう思うのも当然ですよね。

でも、あがり症の方々と出会い、話をしてみたり、あがり症克服の本を読んでみたり、自分の周りの人間を見て思うこと。

あがり症の人こそ秘めた力を持っているはず!

緊張を強く感じてしまう人というのは責任感が強く完璧主義な人だからこそ、「あがり」状態と遭遇してしまったのではないか…と。

(しかし、あがらない人が無責任な人だなんて思ってません!!)

先日、テレビで観ました。

引きこもりの人ばかりを雇っている会社

こういうのをあがり症の人バージョンでやってみたらめちゃくちゃ面白そう!

あがり症の会に集まる人を見ていると、まだまだ本当の自分をさらけ出せず、くすぶっていて不完全燃焼感があるのです。

もちろん私も。。。

当初は克服を目指すつもりはなくて、このままの自分を丸ごと受け止めるという事が出来たらいいなぁと思っていたのですが、それはもう出来たなぁと思っています!

次は克服を目指そうかな、、、とも考え中。

具体的に人前でスピーチの予定がある訳でもないのですが、やっぱり人前を想像するだけでドキドキしてしまう自分がいるんです。

それって、色んなチャンスを逃してしまいそうな気がするんです。

鳥谷朝代さんという方の本を読んでみました。

これを読んでみたところ、私はあがる人の思考とあがらない人の思考が混在している状態で、もしかして克服するのも無理な話ではないのかも!という気持ちになっています。

人前でしゃべる事が平気だった子ども時代。

大勢の前で自分の考えを思ったままに伝えられる爽快感を知っている私

そして、声が震えたらどうしようという恐怖と戦ってきた私

あの爽快感をもう一度味わいたいという気持ち

もう少しステップアップする為。

自分の人生のステージを高める為。

挑戦するべき壁なのだと感じています。

私はあがり症の人に対して、誠実なイメージを抱いています。

サインを頼まれて手が震えている人に遭遇した時は、そっと目を逸らして緊張感をなるべく感じない様にと配慮します。

コーヒーを出す手が震えている店員さんに遭遇したら、穏やかに微笑みます。気まずそうな顔をされたら「大丈夫ですよ」って伝えます。

原稿を持つ手が震えている人に遭遇したら、私が持ってサポートします。

スピーチで声を震わせて何とかやり切った人に遭遇したら、沢山の拍手を送ります。

そして、緊張に溺れそうな時はそっと手を握ってもらいました。

これは、極度の緊張を経験したからこその優しさです。

人の気持ちを推し量れるという優しさです。

不器用な人間だからこその優しさです。

日本人の9割があがりを自覚しているとするならば、日本という国は優しさで溢れた国民性という事です。

人前が好きな人と嫌いな人。

それは能力の違いではないと思うのです。

ただ、人前が嫌いな人は、なるべく人前を避けてきたり、失敗を重ねて自信を無くしているので、圧倒的に人前が好きな人より上手くいったという経験が不足しています。

上手くいったという経験を積む事が、克服への鍵になるのだと思うのです。